ご挨拶
繊維の町、大阪泉大津に創業して54年。
化粧品屋から、地元の魅力を伝える商店へ。
それが私たちmunigift です。
女手一つで商いを始めた祖母から、叔母や従姉妹、そして母が継ないできたこのお店。
途中で途切れそうになりながらも、2019年の秋、私はその縁(えにし)を手に取りました。
3世代目の私にも娘も産まれ、今では93歳から6歳の、女4世代が集うお店に。
そんなお店でこれからも継ないでいきたいと思うことは、初代から大切にしてきた「人の輪」と「家族」、
そして世代間の繋がりです。
現代では、「人の輪」「世代間のつながり」は地域の繋がりだと思っております。
地域の魅力の再発見
2020年の春、COVID-19に見舞われた日本。日本中でマスクが不足するという信じられないようなことが起こりました。
ドラッグストアでは開店前から長蛇の列ができ、私たちはマスクを巡って右往左往しました。
そんな中、地元である大阪府泉大津市が2020年3月に「いずみおおつマスクプロジェクト」を立ち上げました。
泉大津商工会議所と泉大津市が連携し、コロナ禍での国内のマスク不足を解消するために、地域の繊維メーカーと小売店が協力して布マスクを製造・販売する企画でした。
それまでマスクを作ったことがない繊維メーカーがほとんどの中、11社の毛織繊維メーカーがプロジェクトに賛同し、わずか3週間で製造・販売まで漕ぎつけました。
当店はこの時、地域の販売店としてプロジェクトに参加し、マスクの販売をいたしました。
私はこの出来事で「衣食住」の大切さを目の当たりにし、その中でも「衣」を蔑ろにしていた自分に気づき、地元泉大津のものづくりの魅力を知ったのです。
知らなかった地元のものづくりの魅力
地元泉大津の毛織縫製工場は大きな屋敷ぐらいのものが多く、民家の並びにごく自然に溶け込んでいます。
Google Mapを頼って工場を訪れても、道中「本当にこの道であっているのか?」と不安になるくらい住宅地の中にあります。
工場名も木の板に書かれた古風なものが多いです。
毛織工場特有の「カシャン、カシャン」と絶え間なく響く毛織の音も、意識すれば「確かに鳴ってるな」という感じです。どうして今まで気付かなかったんだろうと不思議に思います。
この「あるのがあたりまえ」の日常性に、地域との繋がりや持続可能性を見るけることができ、私は愛しく思います。
地域が産業で豊かになり、生活が豊かになる泉大津のものづくりが、これからの未来を継ないでいくだろうと思うからです。
泉大津ファブリックを、世界へ。
地元の魅力を伝える商店
munigiftでは泉大津のものづくりの魅力と、それを最大限に引き出す世代間の知恵をたくさん詰め込んだオリジナル商品を、少しずつ紡いでおります。
私たちのトレードマークでもある深紅のエプロン。私たちはそれを代々襷のように繋いできました。
munigiftは女4世代が運営するお店です。
そんな私たちの商い物語をご紹介します。
個性強すぎ!女4世代
始まり
1世代目 - 祖母Yuriko
波乱万丈な人生を切り開き、今なお前進し続ける愉快な93歳の祖母。5人兄弟の3人目として広島県鞆の浦で生まれ育った彼女は、第二次世界大戦を経験した昭和5年生まれ。女学校を卒業し東京へ進学。そこで同郷の祖父と知り合い結婚、東京ライフを満喫しているところに、祖父の大阪への転勤が決まる。当時祖母は3歳の娘(いずみ)がいるにも関わらず「付いていかない」という、当時では考えられないくらい芯のある人だった。そんな祖母たち家族は、娘が7歳、4歳の時に、一家で交通事故に遭う。赤信号で止まっている祖母たちの車に正面から居眠り運転のトラックが突っ込んできたらしい。凄惨な事故で、4歳の娘以外の3人は意識不明の重体だった。全員、一命は取り留めたものの、1年後に事故の怪我が原因で夫に先立たれる。親戚も友人もいない大阪だったにも関わらず、祖母は大阪で女手一つで育てることを決めた。地域の民生委員さんのお陰で教職についたものの、「給料が安い」という理由で、北助松商店街で化粧品屋を始めた。絵に描いたような頑固親父のようだった祖母。でも、そんな祖母は、いつでもこどもを想い、彼女なりにとても大切にしていた。孫である私も、そして私のこどもたちを慈しんでくれる。そして、地域への恩を忘れない。
祖母の言葉
「人の輪」と「家族」を大切にすること。
和裁と洋裁を知っているからこそ、その短所と長所を知っている和裁士。
2世代目 - 母Misako
姉から妹へ
穏やかな笑みですべてを包み込む。
パワフルに地域経済・活動に貢献する59歳の商人。
「なんだかんだでみんなここで終わらせたくない」世代を繋いだ縁の下の力持ち。
これまでの歩みや地域の魅力を次世代へ継なぐ
4世代目 - 娘Rin